こどもの日の由来ってなに?簡単に、でもちょっと詳しく解説

5月といえばこどもの日。

女の子のお祝いの日はひな祭り。

こどもの日は男の子のお祝いの日でもありますね。

こどもの日ってどんな由来があるのでしょうか。

なぜ男の子のお祝いの日になったのでしょう。

さらにこどもの日に贈られる兜の飾り物五月人形の由来もどのようなものなのでしょうか。

以前私は「こどもの日って何?」と聞かれて、「こどものお祝いの日だよ」としか答えられませんでした。さすがにこれはマズい!

そんなわけで、今回は「こどもの日」について調べてみました。

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こどもの日とは

2018年のこどもの日は5月5日(土曜日)となります。

こどもの日は1948年(昭和23年)に国民の祝日として制定されたのが始まりとなります。

こどもの人格を大切にし、幸せに成長してもらいたいという願いがこめられているんですね。

さらに母親にも感謝しましょうという意味合いも含まれます。

さて、国民の祝日に制定される以前は「端午の節句」として男の子を祝う伝統がありました。

では端午の節句をみていきましょう。

端午の節句とは

端午の節句とは季節の節目を祝う五節句の中のひとつで、奈良時代からの風習でした。

端午の端とは「月の端(はし)」で月の始まりを表します。

またと同音であり、5日と結びつきました。そして端午は月の最初の5日を表すことに。

もともとは5月という決まりはなかったようですが、5と5を合わせて5月5日が端午の節句となったともいわれます。

5月は田植えの時期

5月は田植えの時期であり、稲の神に豊作を祈願していました。

穢れや厄災を祓うため、菖蒲(しょうぶ)と蓬(よもぎ)を軒に挿す習わしがあったようです。

やがてこの習わしが武士と結びつく時代がやってきます。

菖蒲が尚武と結びつく

鎌倉時代に入ると武士団が力を持ち始め、やがて国の権力者となりました。

またモンゴル帝国の元の来襲もあり、ますます武士の重要性が高まります。

ここで穢れ、厄災を祓う菖蒲と、武道や軍事を重要視する尚武が同音ということで、武士たちから縁起が良いと取り入れられました。

ここに端午の節句と武士の気質が合わさったと考えられます。

侍は男の子の憧れ

江戸時代に入ると、法令により端午の節句が五節句のひとつに定められました。

庶民にも端午の節句が広まり、侍のようにたくましく、強く成長してほしいという祝いごとが普及したのです。

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兜と五月人形、なぜ飾る?

鎌倉時代から武士という日本独特の戦闘団が生まれました。

日本 = サムライ

現代日本人の心の中にも強く息づく精神ですね。

端午の節句と武士の気質が合わさり、男の子にとって武士は憧れの対象となったわけです。

兜は身を守る大切なもの

例えば事故にあって無事だったとき、身に着けていたものをお守りとして持ち続けることになんの疑問も持ちませんよね。

己の頭を守るものに神を感じるのは日本人独特の精神ではないでしょうか。

端午の節句とはいえ、本物を飾るわけにはいかないので、武士も作り物の兜をお祝いに飾ったという説があります。

やがて庶民も真似るようになり、兜を飾る習慣ができたといわれます。

五月人形は神の化身

神道は八百万神(やおろずのかみ)を信仰します。

八百万神はすべてのものに神が宿るという考えです。山には山の神、海には海の神、また樹齢何百年の大木も神とするのが神道です。

さらに古来より日本における神とは人の形をしていました。

武神という言葉があるように、常人を超えた偉業を成し遂げた人をも神とみる伝統が日本にはありますね。

鎌倉時代に武士と端午の節句が合わさったことにより、男の子にはたくましく成長してほしいという願いの守り神として、五月人形が生まれたといわれます。

さいごに

こどもの日の由来はとても深い内容でしたね。

簡単な内容に絞りましたが、これだけの内容になりました。

先人たちが創り上げてきた日本の伝統。

これからは「こどもの日」をより深く感じてください。

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